国营福鼎茶厂白琳分厂國營福鼎茶廠白琳分廠
白琳茶廠
福鼎・白琳の国営時代の製茶工場。輸出用白琳工夫紅茶、次いで白茶を作り、1968年に新工艺白茶を開発した。
- 区分
- 国営工場
- 所在地
- 福鼎
- 創業
- 1953
歴史#
別名・別表記 12#
中国語の別名
- 白琳茶厂白琳茶廠
- 白琳茶廠白琳茶廠
- 国营白琳茶厂国営白琳茶廠
- 國營白琳茶廠国営白琳茶廠
- 白琳分厂白琳分廠(白琳の分工場)
- 白琳茶叶初制厂 / 白琳茶葉初製廠白琳茶葉初製廠(茶の一次加工工場)一次加工工場としての1953年の名称。
- 国营闽东第二茶叶精制厂白琳初制厂国営閩東第二茶葉精製廠白琳初製廠福鼎の茶文化団体の説明にある1953年の正式名称。
- 国营福鼎白琳茶厂国営福鼎白琳茶廠報道で一般的な表記。
- 国営福鼎茶廠白琳分廠国営福鼎茶廠白琳分廠
訳名・販売名
- Bailin Tea Factory (Bailin branch of the state Fuding Tea Factory)
- Teefabrik Bailin (Zweigwerk der Teefabrik Fuding)
ロシア語
- Байлиньская чайная фабрика (филиал Фудинской чайной фабрики)
名称と曖昧な点#
補足#
1953年、白琳の旧広泰茶号に職員22人で設立され、福鼎の国営茶工場が管理した。当時中国茶葉公司を率いた呉覚農が、ソ連・東欧輸出用の白琳工夫紅茶製造を任せた。1957年に康山村貴坪の15畝の敷地へ移り、独立採算を開始。1959年に再び福鼎茶廠の作業場となった。同年の生産は6,350担で最盛期を迎え、白琳工夫は全国紅茶品質賞を受けた。1960年代にソ連圏への紅茶輸出が減ると、白毫銀針・白牡丹・貢眉・寿眉など白茶と緑茶へ転換。技術副責任者の王奕森のチームが1960年代初めに室内加温萎凋を開発した。1968年、香港から廉価な白茶を求められ、同じチームが軽揉捻する白茶を考案。1969年までに省の外貿茶葉公司が新工芸白茶と命名し、白琳を唯一の加工所とした。1970年代からは茉莉花茶用の烘青緑茶も製造。1978年に国営福鼎茶廠白琳分廠へ改称した。界面新聞は1982年時点で白茶輸出中心の福鼎最大の国営茶工場と説明する。1985年に涼青場を加温萎凋室へ改築し、研究会の歴史は今日の加温萎凋房の先駆けとする。1993年の親工場操業停止後、分工場も縮小した。2006年の台風桑美で旧広泰跡が大きな被害を受けた。